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2011年05月09日

USBメモリサイズの世界最小パソコン2000円で販売予定

世界の貧困地域や後進国にパソコンを普及させるために、イギリスの財団が超小型パソコンを開発した。USBフラッシュメモリサイズと小さいながらも、OSを動かすのに十分な性能を備えている。これをわずか25ドル(約2000円)で販売しようというのだ。このパソコンが量産されるようになれば、世界中のパソコン環境がより充実したものになるだろう。
usb_pc.jpg
超小型のパソコンを開発したのは、イギリスの「ラズベリー・パイ」だ。同財団はOSを起動させるのに必要最小限の機能を詰め込んだ、片手に収まるパソコンを作りあげた。

大きさは、USBメモリと同サイズでありながら、700MHzのARM11プロセッサと、RAM128MBを搭載している。そのほかにUSBポートがあり、他の必要機器は外付け可能な状態になっている。I/Oスロットも用意されているので、別途でカメラを取り付けることもできる。

同財団のホームページでは、キーボード・マウス・モニターを繋いで、OS「Ubuntu」を起動している様子が掲載されているのだが、パソコン環境としては、問題のないレベルを実現しているようだ。

今後、量産に向けてさらにコストを圧縮する必要がある。25ドルで収めるには、まだまだ高いハードルが待ち構えているようだ。しかしながら、貧困地域の支援になるだけでなく、パソコン機器のコストダウンに一役買いそうだ。近い将来、USBメモリ感覚でパソコンをポケットに入れて持ち歩く日が来るかも知れない。スマートフォンとは一味違った新たな楽しみが生まれそうだ。

参照:Raspberry Pi Foundation(英文)

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ラベル:USB 小型パソコン
posted by りんぺい at 22:06| Comment(0) | TrackBack(0) | IT関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月08日

すき焼き(鋤焼き)の起源

すき焼きの起源については、諸説があるが、もとをたどれば、室町時代に伝来した「南蛮焼」までさかのぼることができる。
sukiyaki.jpg
古来の料理法を江戸時代の「料理談合集」に見ると、「ガン・カモ・カモシカの類を作り、豆油(たまり)につけ置き、古く使ひたる唐鋤を火の上に焼き、ユズの輪切を後先に置きて、鋤の上に右の肉類を焼くなり、色変るほどにて食してよし」と書かれている。

その後、野菜類を加えて、焼くことから煮ることに移ってきたわけであるが、これは長崎で発達したしっぽく料理の影響があるらしい。

煮るのにどうして焼くというのか、という話がよくでるものとして、「なべ焼きうどん」というのがある。

関西では、獣の肉だけでなく、魚介類をすき焼きと同じように調理し、それを「魚すき」と呼んでいる。

今日のすき焼きの料理法は、大正7〜8年以降の創製で、それは魚すきからという説もある。

posted by りんぺい at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 生活・日常 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月07日

ギムリー・グライダー(Gimli Glider)・・奇跡の生還

ギムリー・グライダー(Gimli Glider)は、民間航空史上に残る有名な事故を起こした旅客機の通称である。
C_GAUN.jpg
●事故機:エア・カナダ143便
●モントリオール・ミラベル国際空港使用機材:ボーイング767-200(機体番号:C-GAUN)
●フライトプラン:モントリオール発オタワ経由エドモントン行き

●乗務員
コックピットクルー
機長:ボブ・ピアソン
副操縦士:マウリス・クィンタル
客室乗務員 6名
乗客 61名

飛行機1983年7月23日
エア・カナダ143便、ボーイング767は、オンタリオ州上空41,000フィートを飛行中、両エンジンが完全に停止した。
「ちくしょう、なんてこった!」
ピアソン機長は舌打ちした。
重さ132トンの飛行機は、毎分2,000フィートの速さで落下してゆく。

飛行機143便は、モントリオールを発ちオタワを経由してエドモントンへと向かう予定であった。

モントリオールを発つ前、燃料調節システムの故障が見つかった。
そこで、燃料搭載にあたってスタッフは手計算で必要量を出さなければならなかった。全て機械化されたシステムに慣れきった彼らにとって、それは初めての経験であった。
そして、うっかり燃料の単位のキログラムをポンドと間違えてしまったのである。

必要量の半分以下の燃料を搭載して、機は飛び立った。
乗客が夕食を食べ終わったころ、コクピットで警告信号が鳴った。
燃料切れだ。片方のエンジンが停止した。
ピアソンは、ウィニペグの管制塔と連絡をとり、緊急着陸に備えた。

飛行機だが、続いてもう片方のエンジンも停止した。
ウィニペグ管制塔のレーダーから、143便の姿が消えた。

機は、急降下を続けている。
エンジンの止まった767を、どう飛ばすというのか?
幸いなことに、機長はグライダーのパイロットでもあった。もちろん旅客機で滑空をした経験などかつてなかったが、他に方法がなかった。

「機長、下降速度が大きすぎます。ウィニペグまでとても持ちません」
クアンタル副操縦士が言った。
ピアソンも、もっともだと思った。

クアンタルはしかし、まだ道があるとひらめいた。
彼がかつてカナダ空軍にいたころ、配属されたことがあるギムリー空軍基地が、わずか12マイル先にある。そこに補助滑走路がある。滑空で着陸できるかもしれない。

彼らは、迷わず北に向かった。

飛行機実はギムリー基地はすでに閉鎖されて久しく、滑走路はオートレース場になっていた。
そして事故当日は、ウィニペグ・スポーツカークラブのファミリー・デーで、バーベキューやホットドッグの屋台が立ち並び、家族連れが繰り出してお祭りを楽しんでいる最中であった。

そこへいきなり現われた旅客機。
クラブメンバーの一人は、ちょうどその時5ガロンのハイオク燃料を手に持ち、ドラッグレースの舗道コースを歩いているところだった。ふと上を見ると、銀色の機体が迫ってくるではないか。
「飛行機が降りてくるぞ!逃げろ!」
ゴーカートに興じてた者、自転車に乗った子供たち、カーレースの観客、全員が何がナンだかわからないまま全速力で逃げた。

カラになった滑走路に、143便は滑り込んだ。タイヤと機首の一部がふっとんだ。呆然と見守る見物人たちから、100メートルと離れていなかった。

飛行機一瞬の沈黙。そして、喝采。
しかし、機首部から火の手があがった。乗客・乗員は、緊急避難した。
カークラブのメンバーは、携帯用消化器を手に集まり、消化作業に協力した。

避難時にころんで怪我をした乗客をのぞき、カーレースの観客をふくめほぼ全員が無傷だった。

飛行機着陸時に機体の受けたダメージが軽度だったため、約100万ドルの修理費をかけて修復され、わずか2日で復帰を果たした。以来「ギムリー・グライダー」のあだ名で呼ばれることになる。
そして、「ギムリー・グライダー」は航空史上に残る奇跡の生還として、今でも語り継がれている。

飛行機2008年1月24日、モントリオール(YUL)からアメリカのアリゾナ州ツーソン(TUS)までAC7067便としてフェリーされ、引退した。この際、機長始め当時の乗員八名が搭乗した。その後は、飛行機の墓場として有名なモハーヴェ空港に部品取り用として保管されている。

飛行機余談だが、143便が着陸したあと、機の修理のためエア・カナダの技師が車で現地に向かった。
しかし途中、技師と修理用ツールを乗せたバンのガソリンがなくなり、マニトバ州の人里離れた奥地で立ち往生してしまったという。
エア・カナダさん…燃料はたっぷり入れてくださいね!

posted by りんぺい at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | ニュース | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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